STORY

何もない空間に、人々が一人ずつ現れる。それぞれが日常のなかで仕事に追われ、生活に追われている。ある瞬間、全員がふと手を止める。街のノイズの奥に、かすかな旋律が聞こえる —— 誰のものでもない、けれど確かにそこにある音楽の残響。

図書館の書庫で古い書物を開いた男は、「春琴伝」の世界に入り込む。盲目の天才琴師・春琴に仕える丁稚の佐助。折檻を受けながらもひたすら師に尽くす佐助と、やがて彼だけに心を許す春琴。二人の間には、痛みと愛が分かちがたく結びついた奇妙な音楽が流れていた。

19 世紀のアメリカでは、少女エミリー・ディキンソンが、誰にも似ていないリズムで詩を紡いでいた。批評家ヒギンソンはその才能を認めながらも、彼女の詩を「正しい」韻律に書き換えて世に出す。親友スーザンもそれを支持する。理解されない痛みの中、エミリーは窓を閉め、暗い部屋で一人、自分だけの言葉を探し続ける。

クメール・ルージュ支配下のカンボジア。強制労働に従事する少女ボパナは、夜ごと恋人への手紙を書いた。検閲を逃れるため、手紙にはインドの叙事詩 『 ラーマーヤナ 』 の王女シータの物語を忍ばせた。収容所での凄絶な拷問のなかでもボパナは書くことをやめず、「心だけはあなたのもの」と綴り続けた。

やがて春琴の顔に熱湯が浴びせられ、佐助は自ら両目を突く。暗闇のなかで二人は初めて同じ世界に立ち、春琴は誰にも聞かせるあてのない音楽を夜ごと爪弾き始める。ボパナの手紙は後世の人々によって発見され、シータの物語はついに完結する。

エミリーは広大な想像力の中で自由を手にし、空より広い頭の中で、言葉と音符を高く舞わせる。三つの旋律が重なり合い、ひとつのハーモニーとなる。誰にも聞かれなかった音楽が —— いま、時を超えて、私たちの鼓膜を震わせる。

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